第2回「映画にとって“顔”とは何か。優れた“被写体”として映画を生きる、とはどういうことなのか?」

映画は人間の「顔」を発見してしまった。それはもはや演技によって表情を伝えるための装置ではなく、まさに「顔」そのものとしてスクリーンの中に映し出される。ところが映画はそのとき同時に「死」をも発見してしまった。映画の中で「顔」が露わになる瞬間にはどうしようもなく「死」と、死の反転としての「性」が否応もなくあぶり出されてくる。ヒッチコック『サイコ』やジョルジュ・フランジュ『顔のない眼』などを具体例としつつ、映画という表現ジャンルにおける“顔”の問題について考察する。またそうした考察の中で、映画における“被写体”という、ある独特の概念についても視界に浮上させていく。(塩田明彦)