「1920年代の溝口健二・日活向島から京都へ」
佐相勉(映画研究者)

 溝口の中で<ヨーロッパ新興芸術>と<日本芸術(東洋芸術)>はどう関わっているのか。私の考えではこの二つのものは終生溝口のなかに同居し、どちらをも拒否することなく、両者を融合して自分なりの独創的なものを創り上げようと模索していた。『血と霊』(1923)の溝口と『日本橋』(1929)の溝口を<新興芸術>から<日本芸術>への関心の移行と捉えるのではなく、両者の融合への悪戦苦闘と捉えることで新たな溝口像が見えてくるだろう。『雨月物語』(1953)という東洋的な物語をモーパッサンと融合し、実現はしなかったがダリと結びつけようとした溝口! 晩年まで健在だった溝口のその融合の精神を1920年代の向島から京都へと移動した日活時代の、文字通り<雑多な作品>の中に見ていきたい。