「西部劇=残存するノワール」
吉田広明(映画批評家)

 フィルム・ノワールは、四〇年代に盛んに作られ、五〇年代半ばに終息する。一方五十年代には、どこか陰鬱な世界観を持った西部劇が作られ始め、西部劇はその面目を一新してゆく。西部劇は、ノワール的な世界観を移植されることで、蘇ったのではないか。あるいはノワール的なるものは、西部劇に残存したというべきか。ノワールがなければ、フォードの『捜索者』は、あのような映画にならなかった気がする。そしてイーストウッドの『許されざる者』も、ノワールの血を受けた西部劇の遥か末裔なのではないのか。ノワールによって西部劇はいかなる変貌を遂げたのかを探る。その過程で我々は、その背後に存在する影の立役者の存在を知ることになる。