渋谷哲也(ドイツ映画研究者)

アルスラン 真に世界的な映画作家
1996年ベルリンのある映画館で『兄弟』に出会って以来、ずっとアルスランに注目し続けてきた。99年のベルリン映画祭で『売人』が称賛され、移民二世でありニューシネマ美学のシネアストとしてアルスランの時代が来ると思われた。ところが彼はその追い風に乗ることはなかった。2001年の『晴れた日』は大げさな社会的・映画美学的身振りのないささやかな小品だった。アルスランは紋切型の予想を裏切ってゆく作家なのだとその時に得心した。続く『彼方より』は移民二世が遥かな故郷に向かうと思わせてアイデンティティを探す感傷的まなざしとは無縁だ。ドイツかトルコかの二項対立はすでに乗り越えられていた。だから続く『休暇』で典型的なドイツの家族映画をニュー・ジャーマン・シネマの代表的女優アンゲラ・ヴィンクラー主演で撮ったのは、彼なりに<ドイツ映画>を普遍的レベルにもたらすためのステップだったのではないか。それがもっとも成功したのが『イン・ザ・シャドウズ』だ。ファスビンダーの『愛は死より冷酷』をどこかで彷彿とさせるギャング映画はニューシネマ美学の到達点を示すとともに、同時代ベルリンを普遍的な犯罪都市に変貌させている。もはやアルスランにとってドイツやベルリンはアイデンティティの参照点ではない。だからこそ真に世界的な映画作家となりえたのだと思う。