ブレッソンはカメラによって捉えたイメージを「平らに」する。例えば彼は俳優から演技を、役柄をはぎ取って「モデル」に変貌させる。表面のみの存在と化した「モデル」。可塑的なイメージであるそれは、(論争的に言えば)映像の全てがアニメーションと化してしまった現在における表層的なイメージのあり方と近いように見える。しかし彼は決定的に相違する。彼のイメージが「映画」になるのは、ではどのような理路を通ってなのか。ブレッソンのイメージを通して、「映画」とイメージの現在を考察する。