渋谷哲也(ドイツ映画研究者)

1955年東ベルリン生まれのトーマス・ハイゼは東ドイツでドキュメンタリー監督として活動した。彼の映画には独裁体制下の日常の生々しい体験が刻印されている。それは厳しい検閲に対する作り手の絶望的な闘いの記録でもある。そうして彼は東ドイツという独裁国家が瓦解し新たな統一ドイツに飲み込まれてゆく流動的な時期を個人的に撮影し続けた。もはや検閲にかかることもないリアルな東ドイツ社会の失われゆく表情を捉えた歴史的ドキュメントである。映画題名が示唆するようにこれは素材(マテリアル)だ。この映像を統制する背後の権力は存在しない。私たちはここに初めて東ドイツのリアルな姿と対面することになる。