佐藤真監督を愛する皆さん!

 先ずは、私のミスにより、本日みなさんとご一緒することが出来なくなったことをお詫び申し上げ、このようにせめて手紙で追慕の気持ちを伝えたいと思います。

 私の記憶が正しければ、佐藤真監督に初めて会ったのは、彼が『阿賀に生きる』の撮影を終え、山形映画祭で後援者たちに報告をする席でした。物静かなほうでしたが、少なくない後援会員たちの間を動き回る姿が印象的でした。そして後に映画を観て、彼が合理的で温かい心の持ち主であると感じました。特に映画で、二人の老人が酒に酔って昔話をする場面が記憶に残っています。
 その後は、頻繁にとはいきませんでしたが、2~3年に一度は彼に会うことができ、私は日本語があまりできないため、彼は流暢な英語で話し相手になってくれました。彼は私が質問をすると、いつも気さくに、親切に説明してくれたものでした。おそらく私だけにではなく、他の誰に対してもそうだったのでしょう。
 ただ、残念なことに、プライベートな話はすることができませんでした。私のように、彼には少し内向的な面があったからだと思います。
 全ては観ていませんが、大部分の彼の映画は、ソフトでありながら、同時に何か粘り強く叫んでいる、という感じを受けます。多分それは、彼の繊細な性格と、最初から続けられてきた彼の社会的な関心事が上手く混ざり合っていたからだと思います。
 実際、彼は私より年下ですが、多くの面で学ぶべき点がたくさんありました。彼の勤勉さ、博識、芸術的能力、そして流暢な英語も…。

 昨年彼が亡くなったという、青天の霹靂のような知らせを山上さんからもらった時、私は中国のハルビンで撮影中だったため、日本に来ることができませんでした。故人に対する悲しみも大きかったですが、佐藤真監督を愛する人々の顔が浮かび、一層哀しく辛い気持ちになりました。そして「よく“賢く立派な人ほど、天は先にお召しになる”というが、それは本当なんだなぁ」と思い、自らを慰めました。
 彼が他界したことは、日本人だけでなく、記録映画を愛する全ての人たちにとっての損失であり痛みです。しかし、彼の作品が残り、彼の精神が受け継がれているのは本当に幸いなことです。
 今後も彼の作品が上映される機会が増え、より多くの人々が佐藤真監督に出逢えるようになればいいなと思います。私も韓国でそんな出会いの機会を作るよう、努力します。

 佐藤真監督!また会いましょう。

 2008年9月20日 韓国にて キム・ドンウォン
             (翻訳:朴美淑)