レナーテ・ザミ Renate Sami


1935年、ベルリン生まれ。1975年から映画を撮り始める。それ以前は英語、フランス語、ドイツ語の授業や翻訳活動を行い、映画制作とは無縁だった。
ドイツ赤軍派に属した映画作家ホルガー・マインスが逮捕後にハンガーストライキを決行し、1974年11月9日に亡くなったのを契機に、監督第一作『いずれ誰もが死ぬ、ただ問題はいかに死ぬか、そしていかに生きたかだ』(1975)を撮る。その後『ジャックポット』(1977)、『物語を語る』(1978/79)等を制作。 『チェザレ・パヴェーゼ トリノ—サント・ステファノ・ベルボ』(1985)では、作家パヴェーゼが生まれた街と命を絶った街を訪れ、それらの街が描かれた彼の最後の二つの小説を取り上げた。
その後、ザミが18歳で初めて訪れたエジプトを題材に『ピラミッドと共に』(1990)を制作。その他の作品に、『ブロードウェイ 95年5月』(1996)、『タリアセン フランク・ロイド・ライト』(2003)、スーパー8で撮りためられた映像にパヴェーゼの詩や音楽を重ねた『映画日記1975‐85』(2005)、『リアーネ・ビルンベルクの工房と彼女の父ダーヴィット・バルフ・ビルンベルクの物語』(2007)、『一年』(2011)など。


過去の上映作品

いずれ誰もが死ぬ、ただ問題はいかに死ぬか、そしていかに生きたかだ Es stirbt allerdings ein jeder, Frage ist nur wie und wie du gelebt hast 1975
保護箔 Die Schutzfolie 1983
チェザレ・パヴェーゼ トリノ—サント・ステファノ・ベルボ Cesare Pavese. Turin – Santo Stefano Belbo 1985
ピラミッドと共に Mit Pyramiden 1990
お前がバラの花を見たならば Wenn Du eine Rose siehst 1995
ブロードウェイ 95年5月 Broadway Mai 95 1996
映画日記 1975-85 Filmtagebuch 1975-85 2005
リアーネ・ビルンベルクの工房と彼女の父ダーヴィット・バルフ・ビルンベルクの物語 Liane Birnbergs Werkstatt und die Geschichte ihres Vaters David Baruch Birnberg 2007
一年 Ein Jahr 2011