ヴィム・ヴェンダースをはじめインディペンデントの作家たちと傑作を生み出した撮影監督ロビー・ミューラー。遺品のプライベートフィルムで辿る「光の魔術師」の軌跡。
大ヒット作『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』のF・ワイズマン。農業の町モンロヴィアを題材に昔ながらの価値観、生活様式を護り続ける“善きアメリカ人”の姿と現代アメリカの実像を浮かび上がらせる。
自然の事象をデジタルによる音と光の明滅に還元。みる、きく、感じるという行為を問い直し、いまここにいる/在ることについて再考を促す。11/11は『DoublePhase』(※会場:K's cinema)、12/12は『Untitled』を併映。
パリ、1960年夏。街へ出たカメラは、あなたは幸せですか?」という問いを投げかけていく。被写体となった人々が集められ議論を交わすことで、虚実の境界が浮かび上がる。
ジョナス・メカス(1922-2019)の見た日本。そして、難民、亡命者としての生活。故郷を追われ、根無し草として生きたメカスの人生の記憶が鮮烈なイメージと音によって構築される。
冷戦期、チャウシェスク独裁政権下のルーマニア。検閲や監視により自由を奪われた人々の希望は、地下流通するVHSテープであり、チャック・ノリスであり、ロッキーだった!
オリジナルから50年の月日を経て、二人の若い女性監督が、同じ質問を投げかける。フランス社会は変容したのか?現代において、シネマ・ヴェリテの手法は有効なのか?
1980年代から90年代にかけて、経済的な成功と破綻を繰り返しながら数多くの傑作を製作したパウロ・ブランコ。「伝説のプロデューサー」を監督は訪ねるが……。
母親が話すことを突然やめたのは何故なのか。彼女の残したホーム・ビデオを手掛かりに、政治的権力と結びついてきたコロンビア映画史が再考され、圧殺された声が顕在化する。
シリアの農民たちが何世代にもわたって兵士へと変えられる実態を批判的に描いた『ステップ・バイ・ステップ』と幻想的かつ魅惑的な映像で、大家族の因習的なしがらみを寓話的に描く『犠牲』。
マヤ・デレンとバーバラ・ハマーによる中断された映画プロジェクトから生まれた『ヴェヴェ』と戦闘機から脱出し、奇跡的な生還をしたウィリアム・ランキン中佐の話と並行して、アメリカ人が持つ愛国心や自由という概念を実験的に読み解く『オア・ザ・ランド』を併映。
自閉症を抱え、フリースクールの同級生や教師たちに攻撃的になってしまう少年ジュナ。ジュナ、ジュナの両親、教師、同級生、保護者たちが対話を続け、粘り強く試行錯誤する日々の姿を親密に描く。
モザンビークの精神病院に入院し、息子と戦場にいる夫を想うルーシー。自身のベッドを楽器として巧みに奏でる。音に導かれた牧師の訪問は、この国の神と悪魔を召喚し、狂気を解放しようとする。オリヴェイラの数々の作品を手掛ける、サビーヌ・ランスランのモノクロ撮影が秀逸。
ボサノヴァの創始者トム・ジョビンの妹エレーナが出版した伝記を基に、3人の女性が語るジョビン。ジョビンの美しい歌声が響き合い、彼の知られざる面が明らかになる。ペレイラ・ドス・サントス監督の遺作。
歴史的な出来事が起こる世界を旅し、日々の暮らしを記録して制作を続けてきた映画作家夫妻。妻アンジェラの死後、彼女の日記を紐とき、映像フッテージと声を重ね、揺るぎない二人の歩みを辿る。
脚本の読み合わせやリハーサルを通じ役を獲得していく俳優。同場面の別パターン別カットを繰り返すなか、声と身体が変化していくさまを緻密に描いた秀作。日本プログラム上映作品。
photo by Tomomi Morita
東日本大震災後、陸前高田で制作を続ける小森はるかと瀬尾夏美。瀬尾のテキスト「二重のまち」を下敷きに4人の出演者とともに編む、それぞれの物語。ともにあるCinema with Us上映作品。
列車で飛行機で車で一路港へ、海に関わる様々な人生がスケッチされる『海辺の王国で』。若い頃人気を博した80歳の男性が、いまも女装で踊る喜びを求め続ける『気高く、我が道を』。
監督が列車でロスからNYへ向かう間の映画という旅。それは、併映する短編2作品(YIDFF2017上映作品)で描かれる、フィリピンからロスへ移り住んだ時から歩んできた自身と家族の旅の分かれ道を予感させる。