「丘陵地帯」について
鈴木仁篤、ロサーナ・トレス インタビュー(聞き手:赤坂太輔)
2013年7月26日

ーーどのように、いつこの映画をいっしょに作ることを決めたんですか?

鈴木仁篤(以下、S.H. ):私たちはポルトガル南部の小さな町でおこなわれた Doc’s Kingdom という映画のセミナーで出会いました。メルトラ遺産保護協会(ADPM)からロサーナに彼らのプロジェクトのための短いクリップの依頼があり、その後撮影していくうちにだんだんと変わっていきました。

ーーシナリオは? はっきり何を撮るか決まっていたんですか?

ロサーナ・トレス(以下、R.T.):いいえ。ADPMはこの地域のいろいろな仕事に従事している人々やその場所を示唆してくれましたが、自由でした。

S.H.:撮影したのは、 ポルトガル南部アレンテージョ地方からアルガルブ地方にかけての山岳地帯です。

ーー彼らが頼んでくる前にあなた方はこの場所に行ったことはあったんですか?

R.T.:私はこの地方の町メルトラに長い間住んでいますし、この地域の人々とも深いつながりがあります。ここを嫌って出て行ってしまう人が多い現実が一方ではあるのですが、ここに住み続ける人々を撮影して、その興味深いところとか、彼らの強いアイデンティティを伝えるのがより重要だと思いました。

ーーあなたがこの地方に住み始めたのはいつ頃なんですか?

R.T.:私の父は考古学の仕事をしていて,メルトラで遺跡発掘の調査を行っていました。私はその頃リスボンに住んでいて、14歳のときに初めてメルトラに行きました。毎年夏になると遺跡発掘の手伝いに行き、たくさんの人々と知り合いになりました。この地域は非常に美しいところで、写真を撮り始めました。メルトラに行き人々に会うのが大好きで、彼らからいろいろ大切なことを学びました。そして20年ぐらい前から住み始めました。

ーーそれであなたは鈴木さんといつどうしてこの映画を共同制作しようと決めたんですか?あなたはこの土地に対しての強い思いがあっても……鈴木さんは?

R.T.:彼が特別な物の見方を持っているからです。それは私がそれまで出会った人たちとは違ったものだと感じました。彼が撮影するイメージ、光、構図……構図の内部で生じる運動とその時間……私がイメージしたものにぴったりでしたから。最初は一緒に撮るとか何も決めていませんでした。でもだんだん……興味深いものになっていったのです。

S.H.:最初の頃は彼女が持っていた小型キャメラを使って、ただ気のむくままに撮っていたのですが、そのイメージを彼女が気に入ってくれたのです。

ーー私は『丘陵地帯』が大好きなんですが、伺いたいのは、ほとんどが手持ちキャメラで撮っていますよね。三脚を持っていなかったんですか?

R.T.:いや、私は自分の三脚を持っていました。最初の画面と最後の画面は三脚を使っています。

S.H.:私たちは三脚をなくしたのです。映画の最初のパンニングの画面を山の中腹で撮ったのですが、その後なくしてしまいました。

R.T.:そうでした(笑)。思い出しました。

S.H.:最後の画面はちょっと事情が異なっています。私たちは編集を始めていましたが,羊飼いのシルヴィーノに偶然会って強い印象を受けました。その後シルヴィーノがよく羊を連れてくるあのため池を見つけました。そしてここが 映画を終らせるのに相応しい画面を撮れる場所だと直感で思いました。別の三脚を借りてきてキャメラを据えて、彼らがやって来るのを待ちました。

ーーあの画面はアントニオ・レイスとマルガリーダ・コルデイロの映画を思い出させる非常に美しい画面です。彼らの映画を見ていたんですか?

S.H.:はい。あの場所に初めて行ったとき、『ANA』の最後の場面を思い出しました。この撮影経験がつぎの作品『レイテ・クレームの味』につながっていったように思います。

ーー『丘陵地帯』の、人々の仕事を示す一連のシークエンスは、戸外から室内へ(またはその逆)、あるいは遠くから近くへ、画の面でも音の面でも、ある種の対位法のような、音楽性を感じさせると思います。撮影のときに、すでにこうした編集のことを考えておられましたか? もしそうでなければ、編集の時にどんなことに注意していたのですか?

S.H.:私たちの初めてつくる映画でしたので、全く編集のことは考えずに撮影していました。しかしキャメラを持つ手の揺らぎや被写体との距離など撮影のときのリズムが編集のリズムに反映したように思います。音のことも全く考えずに撮っていたのですが、大部分の音は後からつくりました。

R.T.:ショットから感じとれるエモーションを大切にしながらショットの長さをきめました。ショットとショットの間のリズム、ショットと音との関係に注意しました。

ーーこの映画は「労働を記録する映画」だと思います。ペーター・ネストラーの映画のように。日本映画だと極めて稀な種類の映画です。日本だとこの種のドキュメンタリーでは人々のインタビューが中心になるからです。この映画ではほとんど労働そのものの記録が中心になっています。なぜですか。ADPMの人々はインタビューを入れるように頼んできませんでしたか?

R.T.:いいえ。撮影する前に、私たちは働いている人々と出会っていろいろな話をしました。彼らも私たちに興味を持ち始め、信頼してくれました。しかしADPM はプロジェクトの説明をナレーションで入れることを要求してきました。

S.H.:最終的にはそのナレーションも全て取り除いて、映画の最初の山並みの画面にかぶさるボイスオーバーの声だけにしました。

ーー例えばインタビューや情報を好むテレビの人々にとってのルポルタージュとは違いますよね。テレビ局は放送できないと言ってくるのではないでしょうか。

S.H.:おそらくこの映画をテレビで放送するのは難しいと思いますね。

R.T.:放送してもらおうとしたことがないですね(笑)。

ーーなぜかと言うと日本だと多くの人がドキュメンタリーのことを「テレビのドキュメンタリー」だと考えていて、そこには説明や情報のある映像になってしまう伝統があるからです。

S.H.:ADPMの人々も彼らのプロジェクトのための説明や情報のある映像を私たちに求めていたのですが、それは無意味だと思いました。別の意味合いで地域に貢献できるものを私たちが作れたら良いなと思っていました。

ーーこの映画は映画館で上映されたんですか?

S.H.:最初のバージョンがリスボンのPanorama (Mostra do Documentário Português) で上映されたのですが、ポルトガルのある批評家が気に入ってくれて、映画祭に出品することを薦めてくれました。思いがけなく世界中の数多くの映画祭で上映されましたが、作る前はまったく予想していないことでした。

(構成、推敲;赤坂太輔、鈴木仁篤)


「特集 カルロト・コッタと現代ポルトガル映画・作品解説」
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