アテネ・フランセ文化センター

講演「特集 現代日本映画 上映と批評」

2005年12月6日

梅本洋一(映画批評家)

北野武のフィルムをいつはじめて観たかというと1990年の初頭でした。今から15年前ですね。観た映画は『その男、凶暴につき』。処女作です。観に行く気は全然なかったんです。では、何で観に行ったか。その頃、「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」という雑誌を創刊しようとしていて、雑誌の創刊にはだいたい一年ぐらいの準備期間が必要なのですが、若い友人たちといろいろと話をしながら、どんな特集を組もうか、どんな記事を掲載しようかと考えていたんです。そのときに、当時アテネ・フランセ文化センターで映写技師をしていた篠崎誠監督から、『その男、凶暴につき』は絶対に面白いですよ、と言われて、新宿の歌舞伎町のパチンコ屋の二階にあった映画館に出かけました。午後の上映だったと思うのですが、映画館に入るとお客さんは三人いました。僕が四人目でした。そのうち二人は労働者の方で、雨で仕事が休みだから仕方なく映画館で時間を潰そうという感じで、映画がはじまる前から鼾をかいて寝ていらっしゃいました。つまり、映画をちゃんと観る態勢でいたのは僕ともう一人だけでした。映画がはじまるとすぐに、この映画は凄い、でも何で凄いんだろうという思いと、この映画は暗い、でも何でこんなに悲しいんだろうという感情にとらわれて、そのまま最後まで観てしまいました。そして、『その男、凶暴につき』は凄い、じゃあ北野武監督の記事を掲載しようということになり、第二作『3-4x10月』の公開も近づいていたんで、篠崎誠監督に長大な北野武論を依頼しました。それが「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」の創刊号に掲載された原稿で、おそらく北野武論としてはもっとも古い、そして今でももっとも長い論文の一つではないかと思います。それからしばらくして、テレビで『その男、凶暴につき』が放映されました。そのときの状況をよく覚えていて、居間にアイロン台を出してアイロンをかけながら『その男、凶暴につき』を観ていたんです。そのうちアイロンをかけるのが空しくなってきて、じっと画面を凝視していたら、アイロン台を焦がしてしまいました。北野武監督は四作目の『ソナチネ』がカンヌ映画祭に出品されて、それがヨーロッパの批評家の目にとまって、以後次々と高く評価されるフィルムをお作りになるわけですが、僕にとってはやっぱり『その男、凶暴につき』というフィルムがもっとも強烈に頭のなかに残っています。では、その『その男、凶暴につき』の冒頭の部分をちょっと観ていただきたいと思います。

(『その男、凶暴につき』の抜粋の上映)

はい、止めてください。ご覧いただいたのはタイトルの後の四つのショットですけど、お分かりの通り、歩いているだけです。橋を渡る北野武さんを超望遠でフィックスで撮っていて、その後、駐車場の横移動の撮影があって、警察の廊下が映って、それから四つ目のショットは、ドアが開いて自分の机で新聞を読むと。単に歩いているだけなんですね。物語上、幾つかのショットは不要です。北野武さんが刑事役であることを分からせるなら最後の二つのショットだけで十分だし、特に長い駐車場を横切って歩くところなんかいらないですよね。ところが、このフィルムはすべてこういう歩行によって出来ている感じがします。普通こういう映像を観ると、ロケ地は東京のどこだろうとか思いますよね。けれども、このフィルムはどこで撮っているのか分かりません。おそらく首都圏のどこかだと思うのですが。季節もいつだか、冬でも真夏でもないと思うのですが、春だか秋だか分からない。

一応、このフィルムは刑事の映画というジャンル映画のルールに則っているので、犯人を捕まえる場面があります。次の上映をお願いします。

(『その男、凶暴につき』の抜粋の上映)

どうもありがとうございました。犯人を追っかけているんですが、こんなに長いシーンである必要は全くないです。追っかけていって追いつけないことを示すなら単にショット二つぐらいで十分なはずですが、ひたすら走る。犯人と刑事はいったい何回通りの角を曲がったでしょう。走っているうちにどっちの方向に向かっているのかが分からなくなっちゃいます。こういう風にある移動を示すショットが重なっていく場合、地理が必要になってきて、どっちからどこへ行ってどうなったかということが観客にはっきり分かった方が良いわけです。例えば、家が舞台となっているとき、その間取りが分かると、人はとても安心します。つまり、物語を語るということはそういうことなんですね。後に、北野武のシナリオはまったく体を成していないと大御所シナリオライターから批判されることになるんですが、このシーンを観ていただくだけで、すでに処女作の『その男、凶暴につき』のときから、物語を普通に語るのとはまったく異なった方向性があることが理解していただけるのではないかと思います。

このフィルムの北野武さんの役は刑事ですから歩くわけです。足が棒になるまで歩けというような刑事もののテレビドラマの台詞でもお馴染みのように、刑事はひたすら歩いて何か手がかりをつかみ、何かを追いつめていくという一面があるわけです。ただ、後の他の北野武の映画を観ても、人々はひたすら歩いているんですね。次の上映をお願いします。

(『ソナチネ』の抜粋の上映)

はい、どうもありがとうございました。『ソナチネ』の一部をご覧いただいたんですが、雨のなかを歩いて戻ってきて、部屋に入るでもなく、雨に濡れた木の下で停止するわけですね。それでちょっとしたラヴシーンになるわけですが、ここの歩行も物語を語るというレベルにおいては不必要なシーンだと思います。次の上映をお願いします。

(『ソナチネ』の抜粋の上映)

はい、どうもありがとうございました。ずっと歩いていた人は殺し屋で、チャンバラトリオの一人が演じているのだと思うんですが、当初は蓮實重彦がこの役を演じるはずだったと蓮實さんご本人が仰っていました。最初に死体が幾つか映りましたけど、あの人たちを殺したのが歩いている人で、普通なら走って逃げたりするもんですが、淡々と歩くんですよね。歩く方向に意味があるわけでもなく、ただ歩く。背景には空白、空虚とも言える沖縄の風景が広がっているだけ。最後に立ち止まって、花びらをワッと散らすんですけど、それも物語上はまったく必要ありません。つまり、北野武のフィルムは『ソナチネ』に至ってますます抽象的なものになってくるわけです。次のご覧いただく抜粋は『あの夏、いちばん静かな海。』からですけれども、このフィルムを思い出してみると、若い男の子と女の子が出てくるんですが、この二人もひたすら歩いていたなあという記憶があります。『あの夏、いちばん静かな海。』の上映をお願いします。

(『あの夏、一番静かな海。』の抜粋の上映)

はい、ありがとうございました。こういうシーンはこのフィルムで何度も繰り返されます。おそらく湘南海岸だと思うんですが、土地を示す記号は一切排除されている海岸沿いの無機質なコンクリートの道を、サーファーの真木蔵人がサーフボードを持ってひたすら歩くというシーンが、何度も何度も反復されます。映画には必ず風景が映るわけで、観る人はその風景がどこなのかを探してしまうものです。例えば、フランソワ・トリュフォーの映画だとエッフェル塔が映っている。ゴダールの映画だとシャンゼリゼが見える。どの映画を観てもそこがどこかということが物語上重要な意味をもっていて、映画監督はその場所の記号というものを示してしまうものです。映像というものはある日のある場所である時刻に撮るわけで、その意味ではドキュメンタリー性が非常に強いものですから。ところが、北野武のフィルムでは、最初はどこで何のために歩いているかが分かっていても、次第次第に単に歩くだけになり、そして背後の風景の固有性が消えていく。どこだか分からない静かな海の前を人々が通過するというのが、北野武のフィルムの典型的なイメージとして定着するようになります。

では、北野武のフィルムでは、人は歩くことで何をするのか。あるいは歩きながら何をするのか。何もしない。『ソナチネ』が公開された頃、仕事で大島渚監督とお話をする機会がありました。『戦場のメリークリスマス』で北野武さんに大きな役を与えた大島渚監督ですので、『ソナチネ』を撮った北野武さんについてどう思うかを聞いてみたんですよ。大島さんは、「沖縄の海を見たら、生きているのが嫌になっちゃうだろうね、あの人は」と仰っていました。普通、僕らはヴァケーションで海に行って浩然の気を養って都会に帰ってくるわけですが、北野監督にとって、言ってみれば何もない風景というのは、何もない、何もしない、生きないということとほとんど同じ意味であり、死という世界と非常に強く結びついていくんだと思います。つまり、北野武さんのフィルムの多くは、言ってみれば何もない風景の前に人が佇んで、これから死ぬという時間をずっと待ち続けるフィルムですよね。だから、とても暗い気持ちになるのかもしれません。

考えてみると、処女作『その男、凶暴につき』でも、刑事たちは歩いていろんな手がかりを探すわけですが、同時に、何かを待っている、何かの知らせを待っている、あるいは捜査が停滞している時間、待つことと同義であるような停滞する時間が描かれていました。その間、彼らは何をしているんだろう。座って待っているだけじゃ映画になりません。彼らは遊んでいるんですね。さまざまなことをして。では、次の上映をお願いします。

(『その男、凶暴につき』の抜粋の上映)

このまま次を見せてください。次のシーンは、北野武の妹役の川上麻衣子が悪漢に捕まっているシーンです。

(『その男、凶暴につき』の抜粋の上映)

はい、どうもありがとうございました。今の二つのシーンを観ていただくとお分かりの通り、待っている間は遊んでいるんですよ。何らかの遊戯が行われているんですね。最初のシーンでは、今は懐かしいですが80年代の中頃から90年代の頭にかけてどこの喫茶店でもああいうゲーム機があって、それで遊んでいる。次のシーンの方では、川上麻衣子が悪漢たちの部屋に閉じ込められて人質になっているわけですが、サッカーゲームをしているわけですね。つまり、何かを待つ間、死まで赴く間、人は遊戯をするというイメージが北野武の頭のなかにはあって、それが何度も何度も彼のフィルムのなかで反復されている。典型的なのは次の『ソナチネ』の場面だと思います。お願いします。

(『ソナチネ』の抜粋の上映)

どうもありがとうございました。あの沖縄の海に行くと、本当にやることが無い。単に死を待つだけなんですが、その間、まず紙相撲を作るわけです。けれども、部屋でそれで遊んでいるのに飽き足らず、今度は海岸で海藻で土俵を作って同じことを実践する。普通はもうちょっとリアルに四つに組んで相撲をすると思うんですが、非常に様式的な動きになっています。ここのシーンだけを観ると、ほとんど『Dolls』と同じですね。ある様式が支配しているリアルなものから極度に遠い遊戯の世界。彼らは後に全員が死を迎えるわけですから、生きながら死に赴く人たち。『Dolls』ですよね。

この『ソナチネ』の次が『みんな〜やってるか!』という映画ですが、この映画に至ると映画全体が遊戯になっていて、その完成直後に、北野武さんご自身が自殺未遂とも言われるバイク事故を起こすことになります。つまり、この『みんな〜やってるか!』が制作された95年あたりをピークとして、北野監督のタナトス、死への衝動が強まっていったわけです。

危うく一命をとりとめた北野武さんは、次に『キッズ・リターン』という映画を撮って復活を果たします。学生諸君に聞くと、『キッズ・リターン』が一番良いですね、と言う人がとっても多いのですが、それまでの映画に見られるような様式性が抑えられていて、物語も北野監督の若き日の自伝的要素が強いので共感を呼びやすいのかもしれません。一回死に損なったわけですから、もう一回映画で生涯を生き直そうという欲望が、タナトスと反対の生の欲望というのが、北野武さんのなかに生まれてきたのではないかと思います。ちょうどこの頃、北野武さんにはじめてインタビューする機会がありました。暴力シーンが多いですね、みたいな話をしたんですが、暴力はやられる奴よりやる奴の方が痛いものだ、人を殴ると手は折れる、ということをしきりに強調なさっていたことが印象的でした。つまり、死を迎える側よりも死を迎えさせてやる生の側の方が痛いという意味だと思うのですが、そのように死と生についての考えを逆転させることで、新しい映画作りに向かっていったのではないかと、そのときは思いました。

ところが、死への衝動というのはやっぱり彼のなかでは抑え難いようです。次の『HANA-BI』というフィルムでは、末期がんを患った妻とやはり刑事役の北野武の最後の道行きが描かれていましたが、映画の登場人物としての自分を殺すことで、現実の死への衝動を回避しているように思いました。『HANA-BI』がヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞をとったことで、北野武の映画作家としての名声は完全に世界的なものになります。最初に『その男、凶暴につき』を撮ってから八、九年ぐらいの歳月が経っています。

『HANA-BI』の次に北野武さんは非常に奇妙な映画をお作りになります。それは『菊次郎の夏』というフィルムです。ある少年と知り合った北野武が、少年の母を探しに、少年と一緒にちょっとした旅に出かけます。それで、お母さんが見つかります。ところが、お母さんは他の男と一緒にいるので声もかけられない。普通の映画ならそこで終わりです。結局うまくいかなかったね、でもこれから明るく生きていこうじゃないかと言って。ただ、この『菊次郎の夏』の場合、映画全体をだいたい100分だとすると、その結論は約50分で出てしまうんです。確か浅草から静岡辺りにそのお母さんを探しに行くんですが、残りの50分は静岡から浅草まで戻ってくる時間に充てられています。物語としてはもう結論が出ているのに、それからの50分間で旅の帰りを描く。その間、いったい何をしているのか。遊戯の時間がずっと続くわけですね。ちょっと『菊次郎の夏』のその部分をご覧ください。

(『菊次郎の夏』の抜粋の上映)

はい、どうもありがとうございました。子どもが正男君で北野武が菊次郎なんですが、正男君のお母さんが見つかって、それで浅草に帰ろうというわけですね。静岡なんですけど、歩いて帰るんですかね。海岸沿いを歩いて行くわけですけれども。最初は海そのものに近づいていく。方向なんてあったもんじゃないですね。映画にはこっちから出たらこっちから入るといった編集の決まりがあるんですけれども、それをまったく無視してひたすら歩行を描き、同時に正男君と遊んでいるところを描く。歩行することと遊ぶことというのはほとんど同じ内容で、つまり停滞しているだけなんですね。北野武さんのフィルムというのはそれまでは死を待つ時間だったわけですが、この『菊次郎の夏』に至ると、生きるも死ぬもなく、単に歩く、遊ぶことでしかない。ある種の諦念が感じられます。ただ、久石譲の音楽は饒舌すぎますね。もしDVDやVHSでご覧になる方がいましたら音を消してみてください。もの凄く強い寂寞感があります。今の場面だと、映画の感情が音楽にある意味で支配されてしまっていて、北野武と正男君の心の交流みたいなものが音楽によって示されてしまうのですが、それは画面だけを観て感じるものとは正反対であって、つまり単に歩いているという凄く空しい、悲しい行動とは真逆にある気がします。だから、僕は久石譲の音楽は北野さんのフィルムに暴力的に介入している気がしていて、二回目に北野さんにお会いしたときに音楽についてお聞きしたことがあったんですが、北野さんはこういう音楽でいいんだと仰っていました。少しはずらして使うけど、久石さんの音楽は好きだと仰っていました。

また、北野さんのフィルムは結構アフレコなんですね。同録がうまくいかないと簡単にアフレコにしてしまう。例えば『HANA-BI』だと、口パクと声が合わないところも数カ所あります。なぜアフレコを使うのですかと北野さんにお聞きしたところ、映像が良ければいいんだ、音なんて後からいくらでも付けられるんだと仰っていました。それを聞いてちょっと失望したんですけれども。北野さんは、バイク事故の後ぐらいから、絵画を自分の創作活動に加えていくわけですよね。つまり、フレームのなかの世界の充填の方に、映画を映像と音に分けると映像の方により重きを置くようになったのかなと思いました。

それからの北野さんは、『Dolls』というある意味でそれまでやってきたことの集大成のような映画で、生きながら死んでいる時間というのを人形に仮託して、待つことと歩くことだけを描くわけです。次に北野さんは『Brother』と『座頭市』というジャンル映画をお作りになります。『Brother』は海を越えたヤクザ映画のようなフィルムでしたし、『座頭市』はご承知の通りリメイクものです。ところが、そうしたジャンル映画を撮っても、北野さんは自らの主題から逃れることはできない。例えば、座頭市は村から村へ移り行くわけですが、画面を横切ってさささっと歩いていく場面が何度もあります。また、『Brother』の方ではカリフォルニアのやはり海岸沿いで惨劇が起こる。海、死、待っている時間という北野さんのオブセッションが、ジャンル映画を撮っても展開されるわけですね。そしてつい先日、新作の『TAKESHIS'』を拝見したのですけれども、そこには海も出てこない、歩くことも大して出てこないのですが、自分自身に対する省察が行われていました。つまり、映画と撮っている自分、何かを演じている自分というのがないまぜになって、それらの考察が一つ一つのシーンとして描かれて、よく言えばフェリーニの『8 1/2』みたいな感じでしょうか。おそらく、これは北野さんのこれからのフィルモグラフィのターニングポイントになる作品だろうなあと思いましたけれども。

ただ、最近の北野さんの映画は、特に『キッズ・リターン』以降でしょうか、あまりに自分自身が映っている、自分自身の鏡としてのイメージばかりを映しているような気がしています。北野さんのイメージの外側にいるような人物が出てこない。北野さんに三回目にお会いしたのは、『Dolls』が公開された頃かその前ぐらいだったかと思いますが、そのときに女の人について聞いてみたんです。つまり、北野さんの映画には北野さんと対等である女性が存在していないという話をしたところ、そうだね、おいらの人生には母ちゃんとねえちゃんだけだったよ、と彼は答えてくれました。母ちゃんというのはおそらく、北野武のフィルモグラフィで考えると、岸本加世子に体現されるような存在だと思います。ねえちゃんというのは『その男、凶暴につき』だと川上麻衣子でしょうか。つまり、映画史的に言うと、ハンフリー・ボガートとローレン・バコールのような、男性と女性が本当に対等である瞬間というのは北野さんの映画には存在していないんですよね。だから、僕は、北野さんが本当に愛している女性に翻弄されちゃうような映画が観たいです、と彼に言ったことがあるんですけれども、分かっていただけたかどうかは定かではありません。だいたいそんなところで今日のお話を終えたいと思います。どうもありがとうございました。