トーク「トーマス・アルスラン監督特集」
2012年3月10日

トーマス・アルスラン(映画作家)
司会・通訳:渋谷哲也(ドイツ映画研究者)

ーー今日はトーマス・アルスラン監督をお招きして、これから約1時間、今ご覧いただいた『イン・ザ・シャドウズ』だけでなく他の作品についても、皆様からご意見、ご感想、ご質問をいただきながら、話を進めていきたいと思います。まずは私から、アルスラン監督が初めて手掛けられたジャンル映画、犯罪映画である『イン・ザ・シャドウズ』をどういう思いでお作りになったのか、お聞きしてみます。

ジャンル映画、犯罪映画を撮るのはまったく初めての試みでした。犯罪映画は映画史にさまざまな前例があります。犯罪映画としての枠があり、あるべき物語、登場人物の行動パターン、身振りなどの規則にしたがって映画を作ることは、私にとって新しい挑戦でした。その一方、私のなかにあるドキュメンタリー的な志向をジャンル映画というフィクションの枠に組み込みたいと思ったのです。抽象的な犯罪ドラマの枠のなかでベルリンという具体的な街を撮ることです。それがこの作品を作ろうと思った理由です。

ーーでは、皆様から、ご覧になったばかりのこの『イン・ザ・シャドウズ』に関するご質問をいただきたいと思います。

質問1:『イン・ザ・シャドウズ』ではなくて、『彼方より』についてなんですが、『彼方より』を観ながら、ユルマズ・ギュネイ監督の『路』という映画が頻繁に頭をよぎりました。まったく違う映画なのに、どこか相通じる気がします。このトルコの映画監督をアルスラン監督がどう評価しているか、教えていただきたいのですが。

ユルマズ・ギュネイ監督のことは大変評価していますし、素晴らしい監督だと思います。ただ、『彼方より』を撮っているときは、ギュネイ監督の作品はもとより、どの作品も念頭には置いていませんでした。『イン・ザ・シャドウズ』のようなジャンル映画の場合は、同じジャンルの他の作品を意識しながら作るわけですが、『彼方より』の場合は、頭のなかにイメージを作りあげることはせず、目の前のもの、自分の見たものにどう反応するかということに意識を集中しながら作りました。とは言え、ユルマズ・ギュネイ監督が素晴らしい監督であり、私が大変評価していることに変わりはありません。

質問2:先ほど『イン・ザ・シャドウズ』がドキュメンタリー的と仰っていましたが、そのために映画音楽がほとんど使われないのでしょうか。また、どういう意図でこの『イン・ザ・シャドウズ』というタイトルにされたのでしょうか。

まず最初の質問にお答えすると、実は、私はこの『イン・ザ・シャドウズ』で初めて映画音楽を作曲家に作ってもらいました。これまでの映画でも音楽は使っていましたが、それは既成曲でした。この『イン・ザ・シャドウズ』で初めて映画のための音楽を作ってもらったのですが、仰るとおり、普通の映画よりも音楽は少なくなりました。音楽がどんどんムードをかき立てるようなやり方は、やはりしたくなかった。映像の世界をしっかり受け止めてもらうために、あまりはっきりとした音楽はつけませんでした。
それから、タイトルはドイツ語で "Im Schatten"、影のなかという意味です。この映画の登場人物、主人公のトロヤンだけでなく、他の人物もすべて影に隠れて活動している。主人公が犯罪者であるだけでなく、警官も影で汚職に手を染めている。すべての人が表の顔とは違った仕事をしている。そういう人ばかりが登場する物語だから、このタイトルがとても相応しいと思ったんです。

質問3:アルスラン監督の映画のタイトルはいつも簡潔ですが、映画のタイトルについてはどのようにお考えでしょうか。

短くてシンプルなタイトルが多いことは自分でも気づいていますが、意識してそういうタイトルを選んでいるわけではありません。ただ、映画に相応しいタイトルを付けたいとはずっと思っています。実を言うと、すべての作品のタイトルが短いわけではなくて、『兄弟』の前に作った映画には『音楽を小さくして』というちょっと長いタイトルを付けました。ただ、それ以外の作品は、長くても三つの単語 "Der schöne Tag(晴れた日)" ぐらいですね。一見して、どういう映画だろうとイメージを膨らませることができる言葉を考えた結果、シンプルで短いタイトルが多くなったということです。

質問4:『イン・ザ・シャドウズ』は実際の事件と関係があるのでしょうか。

最初に「ドキュメンタリー的な志向」と言ったのは、ベルリンという場所を記録するということで、事件を記録するという意味ではありません。登場人物や事件はフィクションとして考案されたもので、実際の事件に基づいてこの物語を作ったのではありません。ただ、実はこの映画の撮影の準備中、IKEAで似たような強奪事件が起こりました。つまり、『イン・ザ・シャドウズ』では、どこでも起こりうるような事件をフィクションとして構築したわけです。そのとき、主人公がプロの犯罪者として、どう事件を計画し、実行に移すのか。その主人公のアクション、行動を徹底して考えることが、この映画作りの中心的な事柄でした。60年代にはプロの犯罪者の作業を丹念に描いた素晴らしいギャング映画がたくさんありました。今はそういう映画が少ないので、それをやってみたいと思ったのが、この映画の出発点のひとつでした。

質問5:『イン・ザ・シャドウズ』で初めて映画音楽を制作されたと仰っていましたが、それ以前の作品の音楽についての質問です。ヒップホップがかかる『兄弟』は弟役がクール・サバシュだったり、『売人』ではジェフ・ミルズがかかっていましたが、それらは監督の音楽の好みなのでしょうか。あるいは、そういうアンダーグラウンドなシーンに対する監督の共感の表れなのでしょうか。

そのような音楽はもちろん自分で選んでいるわけですが、まず第一に、その音楽が場面や登場人物に合っているかということを考えます。だから、自分がふだんあまり聴かない音楽を映画に使うこともありました。自分の趣味だけではありません。

質問6:ドキュメンタリー色の強い今までの作品とは違った、サスペンス色の強い『イン・ザ・シャドウズ』を作ろうと思ったきっかけと、他に興味のあるジャンルがあればお伺いしたいと思います。また、刑事がつまみ食いをするような、笑いを誘うシーンがありましたが、シリアスな雰囲気のなかにああいうシーンを入れた理由もお聞かせください。

今までよりもフィクションの色彩が強い作品を作ろうと思いました。私は昔から犯罪映画、そして犯罪小説に興味があり、今回、初めてその趣味を生かした映画を撮ることになりました。この夏に撮影予定の新作は、一見すると西部劇のようなイメージの映画になると思います。19世紀末、ドイツから移民として北米大陸に渡った男たちが、金の採掘のために旅をする。これは実話なんですが、その物語をカナダで撮影する予定です。おそらく西部劇のような映画になるのではないかと思っていますが、西部劇を撮りたいと思ってこの映画を作るわけではありません。少し付け加えますと、世界には商業的なメインストリームから外れた映画が色々とあるわけですが、気になるのは、そういう映画にはリアリズムを重視した作品が非常に多いことです。これが現実の姿だと訴える作品がとても多い。今度の私の新作は、やはりメインストリームからは外れた映画になるのでしょうが、他の映画が考えるリアリズムを超えてみたい、少し違ったフィクション映画を作ってみたいと思っています。
『イン・ザ・シャドウズ』にコミカルなシーンを入れたのは、映画のトーンを少し変化させたいと思ったからです。映画を観ていて、そういうトーンの違いを感じるのも面白いかと思ったからです。

質問7:『イン・ザ・シャドウズ』を観ていて、北野武監督の映画を連想しました。俳優たちの佇まいと映画の緊張感が似ているように思います。ただ、北野映画が紙芝居的なのに対して、『イン・ザ・シャドウズ』では主人公が乗り物をいくつも乗り継いで行くので立体的な印象を受けました。乗り物を変えて移動していくことの狙いと、あと、最後のシーンで森に行った理由をお聞きしたいと思います。

もちろん私は北野武監督の映画を観ています。特に初期の作品は素晴らしいと思っています。ただ、北野映画は、硬直した登場人物が、突然、爆発するというスタイルが続いていますね。それは、私の『イン・ザ・シャドウズ』とまったく違います。今回、この映画で私が試みたことは、まさに移動を描くことです。街のなかをうろつきまわる、尾行する。そういう動きが、今回の映画では重要だったのです。あと、最後に森に行くのは、ストーリー展開に必要だったからです。ドイツだと森の神秘とかロマンティックなイメージがありますけれども、そのようなことを考えてこういう物語にしたわけではありません。あくまでも現実に則してストーリーを考えた結果です。実際、ベルリンは都市部から外れると周りに森が広がっています。ですから、逃げるとなると森へ入って行く。ただ、これはあくまでも作り手である私の考えであって、観る方は別の印象を抱くのかもしれませんが。

質問8:先ほど犯罪映画には前例があると仰っていましたが、『イン・ザ・シャドウズ』に影響を与えた作品や監督を教えていただけますか。

ドン・シーゲルの初期作品や、アーヴィング・ラーナーの『契約殺人』、メルヴィルの『仁義』の強奪シーンなどは参考にしました。このような作品は犯罪者が主人公なんですが、犯罪者がその場でどういう行動をしているのかということしか分からない。そういう作品を参考にしています。ただ、『仁義』の強奪シーンを参考にしたと言いましたが、登場人物の描き方はメルヴィルとはまったく違うということを付け加えさせてください。メルヴィルの映画の犯罪者は、どこか神話化されていて、等身大ではない人物です。私は、淡々と仕事をこなす職業的な犯罪者を描きたかったので、そこのところはメルヴィルと違うはずです。

質問9:『イン・ザ・シャドウズ』は主人公がセキュリティが施されたドアを入って行くシーンからはじまり、その後、彼はドアや車や現金車などのセキュリティをどんどん突破していきます。そのような描写とベルリンをドキュメントすることには何か関わりがあるのでしょうか。

『イン・ザ・シャドウズ』の主人公はどちらかと言うと古典的な犯罪者です。現在はコンピューター上の犯罪なども増えていると思いますが、彼は現金を狙って犯罪を犯すわけです。そういうクラシックな犯罪の作業をできるだけリアルに見せるために、どういう風にセキュリティシステムを迂回して獲物に近づくのか、現金はどのようなシステムで護られているのかということをできる限り現実的に描きたいと思いました。要するに、そういうところに嘘を入れたくなかったということはありました。

質問10:『イン・ザ・シャドウズ』では、主人公と彼女がベッドで裸になっていてもセックスを描きませんね。また、血だらけの残酷なシーンもない。犯罪映画は普通セックス・アンド・バイオレンスだと思うけど、これはメインストリームを外した新しい映画ということですか。

観客をがっかりさせるつもりはありませんが、セックスシーンを描くことには興味がありません。また、暴力シーンを描くなら、ひとつの山場として一瞬で見せたい。暴力シーンばかり、山場ばかり続くと山場の意味を失ってしまいます。一瞬であるからこそ印象が強くなる。映画の表現はそういうものだという思いがあります。

質問11:『イン・ザ・シャドウズ』では、主人公と接触する人間が次々と死んでいきます。彼が犯罪者として合理的に行動すると、目の前の人間は死ぬことになる。だから、彼が彼女と別れるのは、彼が彼女を本当に愛していて、自分から離れさせようとしているのではないかと思いました。そのような私の解釈をどう思われますか。

トロヤンという主人公は周囲の人々の死を招く死の天使のような存在ではなくて、彼自身は常に合理的な判断ができる犯罪のプロフェッショナルなのですが、周りの人たちがなにかの失敗をして、結局、犯罪全体が失敗してしまう。この映画はそういうシステムの問題を描いていると思っています。

質問12:お父様がトルコ系とのことですが、自らの出自についてどうお考えですか。また、映画史においてベルリンを舞台にした映画はたくさん作られてきたと思いますが、ご自身の映画をどう位置づけていらっしゃいますか。

民族的な出自についてのご質問ですが、『イン・ザ・シャドウズ』はご覧いただいてお分かりのように、エスニシティはまったく関係ありません。初期の『兄弟』や『売人』は、確かに主人公がトルコ系で、また犯罪者でもあります。ただ、これは社会の現実でもあって、実際、移民の若者はそういう犯罪に手を染めてしまうことが多い。あれらの映画で試みたことは、事実はそうかもしれないが、そういう人たちのことをもっとじっくり見つめてみようということです。トルコ系の若者はああやってドラッグを売っているという紋切り型のイメージからはじめて、彼らをじっと見つめていくことで、その紋切り型のイメージを解体できるのではないか。紋切り型を超えた見方で彼らに目を向けることができるのではないかと考えたわけです。
ベルリンについては、背景としてではなく、人物たちが生きている舞台、街としてベルリンを撮っています。それ以上のことは言えないですね。

ーーでは、最後の質問です。

質問13:『彼方より』のことをお聞きしたいのですが、最後の方でクルド人の問題やアルメニア人の虐殺について触れられていますが、意図的にトルコの暗部について語ろうと思われたのでしょうか。

『彼方より』はイスタンブールからはじまり、東へと移動していきます。東の方にいくとクルド人が多い地域がありますから、ただ現実として映画に登場してくるわけです。島の教会の廃墟が、アルメニア人の虐殺のことを知ると、単なる美しい風景ではすまなくなる。そのような旅の発見の積み重ねによって、この映画は構成されています。

ーーはい、どうもありがとうございました。監督に暖かい拍手をお願いいたします。皆様もどうもありがとうございました。

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