「ダニエル・シュミット─思考する猫」/出演者紹介

イングリット・カーフェン

イングリット・カーフェン
Ingrid Caven

ダニエル・シュミットの女神。1938年、ザールブリュッケンに生まれる。ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーによってその才能を見出され、本格的に映画界へ。ファスビンダーとカーフェンは1970年から72年まで婚姻関係にもあった。シャンソン歌手としても高く評価され、最初のパリ公演の演出はシュミットが手がけた。5本のシュミット作品に出演。愛と夢と死のロマンティックな三位一体であるシュミット作品にとって、彼女は理想の女優であった。

ヴェルナー・シュレーター

ヴェルナー・シュレーター
Werner Schroeter

ダニエル・シュミットの親友。ふたりは共にオペラとドイツ表現主義映画に熱狂。イングリット・カーフェンと三人でミュンヘンで暮らしていたこともある。1945年に生まれたシュレーターは、5歳ですでに映画監督になることを志す。オペラとの出会いは、13歳の時にラジオで聞いたマリア・カラスのアリア。独学で映画制作を習得し、1960年代末から、8ミリや16ミリで実験映画を作成。1969年の『アイカ・カタパ』でその名を広く知られることになった。

ビュル・オジエ

ビュル・オジエ
Bulle Ogier

ダニエル・シュミットのパリの友人。1974年、シュミットと、彼の作品の美術監督で恋人でもあったラウル・ヒメネスは、グルネル通りのビュル・オジエのアパートに引っ越す。オジエはシュミットの『カンヌ映画通り』で主役を務めた。1939年、ブローニュ=ビヤンクールに生まれたオジエは、前衛的な演劇運動「カフェ・テアトル」の創始者のひとりであり、ジャック・リヴェットやルイス・ブニュエル作品への出演で知られる。

レナート・ベルタ

レナート・ベルタ
Renato Berta

イメージを共有するシュミットの兄弟。世界的に最も高く評価されているスイス人撮影監督。1945年、ベッリンツォーナに生まれる。ローマでカメラと写真を学び、1968年からフリーの撮影監督に。スイス時代はアラン・タネール作品などで知られ、パリに移住してからはジャン=リュック・ゴダール、アラン・レネ、アモス・ギタイといった監督たちの作品を手がけた。ダニエル・シュミットとの共同作業は『今宵かぎりは…』に始まり、遺作の『ベレジーナ』まで続いた。

蓮實重彦

蓮實重彦

ダニエル・シュミットの東京の友人。1936年、東京に生まれる。東京大学でフランス文学を学び、パリで博士号を取得。1997年、東京大学の総長に就任。日本を代表する知識人のひとりであり、フローベールの専門家として世界的に知られる。ドゥルーズ、デリダ、フーコーの仕事の日本への紹介にも大きく貢献した。1982年の東京での「ダニエル・シュミット映画祭」の実現にあたって、中心的な役割を担った。