ロベール・ブレッソン Robert Bresson


1901年9月25日、ピュイ=ド=ドーム県ブロモン=ラモット生まれ。父はレオン、母はマリー・エリザベット。
1915年、一家はパリに転居。シャルル・ペギーやジャン・ジロドゥも在籍したリセ・ラカナルで古典文学と哲学を学ぶ。画家を志す。
1926年12月21日、レイディア・ファン・デル・ゼーと結婚。最初の夫人の没後、『少女ムシェット』等の助監督を務めたミレーヌ・ファン・デル・メルシュと再婚。私生活はほとんど知られていない。1930年、絵画を断念するが、映画制作に興味をもつ。
1934年に、「ピカソ その生涯と作品」Picasso: His Life and Work(1958)で知られる画家・詩人・美術収集家ローランド・ペンローズの出資により初の喜劇短編『公務』Les Affaires publique(映画祭題『公共問題』)を撮る。長らく所在不明だったこの作品は後にブレッソン自身によって自作目録から削除されているが1988年に発見された。
1939年にはルネ・クレールの中断された映画『澄み切った空気』の立案を、クレールの実兄アンリ・ショメットと共に手がける。不幸な子供たちの臨海学校を主題とするこの映画には女性指導員役でエリナ・ラブルデットが出演していた。彼女は後にブレッソンの『ブローニュの森の貴婦人たち』に主演する。
1940年6月から1941年4月までドイツ軍の捕虜となるが、病気を理由に解放された。
1943年、初の長編映画『罪の天使たち』を監督、以後、1983年の遺作『ラルジャン』まで断続的ながら監督として活動した。1999年12月18日、パリにて逝去。
映画監督作に、『ブローニュの森の貴婦人たち』(1945)、『田舎司祭の日記』(1951)、『抵抗』(1956)、『スリ』(1959)、『ジャンヌ・ダルク裁判』(1962)、『バルタザールどこへ行く』(1966)、『少女ムシェット』(1967)、『やさしい女』(1969)、『白夜』(1971)、『湖のランスロ』(1974)、『たぶん悪魔が』(1977)、『ラルジャン』(1983)がある。
1975年、著書「シネマトグラフ覚書」Notes sur le cinématographe 刊行。松浦寿輝による邦訳が筑摩書房より1987年に刊行された。


過去の上映作品

罪の天使たち Les anges du péché 1943
抵抗 Un condamné à mort s'est échappé ou Le vent souffle où il veut 1956
バルタザールどこへ行く Au hasard Balthazar 1964
ラルジャン L'Argent 1983