アレクサンドル・ドヴジェンコ
Александр Довженко


ウクライナの片田舎、ソスニツィ村の農家に生まれる。1914年に師範学校を卒業し、ギムナジウムの教師として物理学などの自然科学を教えていたが、1917年にロシア革命が始まるとともに、ウクライナ教育人民委員会(初期ソビエト政権での文部省)で活動を始める。1920年代初頭(1920〜21)、ウクライナの首都キエフの人民教育部創設に携わった後、外交官としてポーランド、ドイツで勤務(1921〜23)。その間、政府の奨学金によりミュンヘン、ベルリンで絵を学び、ウクライナに戻ってからは、ハリコフ市で共産党機関紙のイラストを担当した(1923〜26)。1926年からオデッサ、キエフ、モスクワの映画撮影所で監督を務めるようになる。全ソ国立映画大学(VGIK)で、1949〜51、1955〜1956年に教鞭をとる。映画の監督、脚本のほか、小説も書いた。死後の1957年には、キエフ映画撮影所がドヴジェンコ名称となる。1959年には、「海についての詩」の文学脚本でレーニン賞を受賞。1972年には、ドヴジェンコ名称最優秀戦争愛国映画金メダルが創設された。


過去の上映作品

ズヴェニゴーラ Звенигора 1928
武器庫 Арсенал 1929
大地 Земля 1930
航空都市 Аэроград 1935
シチョールス Щорс 1939
ミチューリン Мичурин 1949