アモス・ギタイ Amos Gitai


1950年、イスラエル北部の港湾都市ハイファに生まれる。シレジア地方(旧ドイツ領東プロイセン、現ポーランド)出身の父ムニオ・ワインローブ・ギタイは、バウハウスで学びミース・ファン・デル・ローエの助手として働き、ナチス政権を逃れてパレスチナに亡命した建築家。母エフラティア・マルガリット・ギタイの両親はシオニズム運動の初期から社会主義的な平等なユダヤ人国家を理想としてロシアから移民し、キブーツや労働組合の基礎を築いた家系。その家族の歴史は、「ベルリン、エルサレム」(1989)、「エデン」(2001)、「カルメル」(2009)等の多くのフィクション映画にも反映されている。イスラエル工科大学で建築家を志していた頃から8ミリで映画を撮り始めるが、73年のヨム・キップール戦争(第四次中東戦争)で、23歳の誕生日に搭乗していた救援部隊のヘリコプターがシリア軍に撃墜されたことを契機に、必然的に歴史を背負わざるをえない個人を表現するための手段として映画を考えるようになる。1980年の「家」と1982年の「フィールド・ダイアリー」がイスラエル国営テレビ局で放送禁止になり、その後10年間を自発的な亡命者としてパリで過ごす。この頃からフィクションや舞台にも取り組みはじめ、アンリ・アルカン、サミュエル・フラー、ベルナルド・ベルトルッチなど多くの映画人・演劇人と交流。1993年にイスラエルに戻り、現在はハイファ、テルアヴィヴ、フランスを拠点に、世界中を巡りながら毎年新作を一本は発表するという精力的なペースで映画製作を続ける一方で、演劇の演出や、ビデオ・インスタレーションなども手がけている。


過去の上映作品

黒は白である Black is White 1972
テクスチャー Textures 1972
波 Waves 1972
ショシュ Shosh 1973
火は紙を飲み込み、紙は火を飲み込む Fire Eats Paper, Paper Eats Fire 1973
水 Water 1974
戦争のイメージ 1、2、3 Images of war 1,2,3 1974
アハーレ(その後…) Images After War/ Apres/ Ahare 1974
カリスマ Charisma 1976
建築 Architectura 1978
アイデンティティを求めて In Search of Identity 1980
家 The House 1980
フィールド・ダイアリー Field Diary 1982
パイナップル Ananas 1984
バンコク・バーレーン Bankok Bahrain 1984
レーガン・売りもののイメージ Reagan: Image for Sale 1984
エステル Esther 1986
ブランド・ニュー・デイ Brand New Day 1987
ベルリン・エルサレム Berlin-Jerusalem 1989
ゴーレムの誕生 Naissance d'un Golem 1991
ゴーレム、さまよえる魂 Golem: L'Esprit de l'Exil 1992
ウッパールの谷で In the Valley of Wupper 1993
ギヴ・ピース・ア・チャンス Give Peace a Chance 1994
戦争の記憶 Kippur: War Memories 1994
メモランダム Devarim 1995
殺人のアリーナ The Arena of Murder 1996
ヴェズールの戦争と平和 War and Peace in Vesoul 1997
エルサレムの家 A House in Jerusalem 1998
オレンジ Orange 1998
ヨム・ヨム Yom Yom 1998
カドッシュ Kaddosh 1999
キプールの記憶 Kippur 2000
ラシュミア谷の人々ーこの20年 Wadi Grand Canyon 1981-1991-2001